夜になるまえに

本の話をするところ。

だって川上弘美がそう書いているのだから。 「東京日記 1+2 卵一個ぶんのお祝い。/ほかに踊りを知らない」

 エッセイの書評を書くのは難しい。いわんや日記の書評をや。しかも、これは日記、なのだけれども、当たり前ながら川上弘美の書くものでもあって、川上弘美の書くものに書評など本来ならば必要はないのである。百足になぜおまえの足はそんなに多いの? と訊いて何になるだろう。あるいはカピバラにもうちょっと緊張感もって生きた方がいいんじゃないの? と言って何になるだろう。川上弘美の書くものも同じである。だって川上弘美がそう書いたのだから、蛇は踏めば女になり、くまと私は散歩に行く。
 たとえば、「少なくとも、五分の四くらいは、ほんとう」(p.156)だというこの日記の中で、著者が突然の電話で友人から「猿はスーパーマーケットの白いポリ袋が大好き」(p.141)で「蛇のおもちゃが嫌い」(p.141)だと注意を受けるところ。
 なぜ急に猿のことなんか、と訝る著者に友人は言う。「いそいで教えてあげないと、いつ猿が来るかわからないし」(p.142)。
 いやなんでだ! と、おそらく大部分の人なら突っ込むところだが、著者はちがう。「猿が来そうな気がして、怖い」「まだ猿が来そうな感じ。家の外から来るだけではない、押入れや浴室に湧いてくるということも考えられる」(p.142)……考えられるのか? うん、わけがわからない。でも、「猿」が「湧いてくる」という文章をこれ以外に書けるものなら書いてみろ。といっそ言ってしまいたくなる鮮やかさで、著者はその落差のある二つの言葉の橋渡しをする。
 あるいは「ぬる」。暑い季節にしばしばあらわれるそれは、「深みのある容器の底」「蛇口のまわり」「排水口のあたり」に見られるぬめりのことだ。著者曰く、「ぬる」は「性質は温厚だけれど、執念深いところがある。口癖は「閑話休題」。趣味はサラリーマン川柳。肉親の縁にうすく、両親とは早くに死別。兄と妹が一人ずついるけれど、二人とも外国に住んでいる。食べ物の好き嫌いがけっこう多い。独楽のコレクションをしている」(p.283)。
 え、ええ? サラリーマン川柳? 独楽のコレクション? 今蛇口とかのぬめりの話してたんじゃなかったっけ? 設定が細かい、細かすぎるよ「ぬる」! そんなプロフィール聞かされたらうっかりごしごしできないよ、「ぬる」!
 などと思っていたら、次の段落で著者は言う。
 「コレクションの独楽ごと「ぬる」をこすり取って、流す」(p.283)
 ……容赦なかった! 「ぬる」流された! こすり取られて流された!
 ちなみに「ぬる」には「蝶の模様の切手をコレクションしている」(p.283)のもいるらしい。わけがわからない? でも本当だ。だって川上弘美がそう書いている。
 この種のわけのわからなさが彼女の書くものの世界にはあふれているのだが、そのわけのわからなさはその世界ではわけのわからないことではなく、ごくごく自然にそこに在って、こちらの世界と混じり合っている。文章だけで彼女はこの世界を造り、そしてその文章を読むだけで我々はその世界に行ける。それは本当に、しあわせなことだ。

 

紙の本はこちら↓

honto.jp