皆さんはモーリス・ルヴェルという作家をご存じだろうか。
フランスのポオと呼ばれ、ヴィリエ・ド・リラダン、モーパッサンの系譜に列なる作風をもって仏英読書人を魅了した、鬼才ルヴェル。恐怖と残酷、謎や意外性に満ち、ペーソスと人情味を湛える作品群は、戦前〈新青年〉等に訳載されて時の探偵文壇を熱狂させ、揺籃期にあった国内の創作活動に多大な影響を与えたといわれる。31篇収録。エッセイ=田中早苗・小酒井不木・甲賀三郎・江戸川乱歩・夢野久作/解説=牧眞司(東京創元社HP「夜鳥」の内容紹介より引用)
こちらは2003年東京創元社から出たルヴェルの短編集「夜鳥」の説明である。ルヴェルの作品はほとんどすべてが十ページもない短編で、その短さの中で実に嫌な後味を味あわせてくれるものが多い。しかしその嫌な後味に不思議な魅力があり、指の間から地獄絵図を覗くような気持ちで、もっと読みたくなってしまう人は多いと思う。「夜鳥」は品切れになっていたが数年前の復刊フェアで復刊された。まだ持っていない人は今のうちに買っておくことをおすすめする。
そして2022年、なんとルヴェルの新刊が刊行されたのである。それが「地獄の門」だ。
編訳者あとがきによれば既訳書と収録作の重複はないとのこと。これはこれは、とほくほくしながら読み進み、あっという間に読み終わった。「あと一編」が止まらなくなる、そんな読書だった。今回は「地獄の門」からお気に入りの話を紹介してみたい。
1.「消えた男」
一人の医学生が警察署にやってきて、失踪した男ガスパールの運命を語る。
これは意外な「殺人の動機」アンソロジーがあれば入れたい一篇である。ガスパールがあまりにもかわいそう。
2.「雄鶏は鳴いた」
失明した男とその妻のもとに久しぶりに会う客人がやってくる。もてなしのために若鶏をつぶそうとする妻に、男は断固として反対する。その理由とは。
このシチュエーションで「雄鶏は鳴いた」。男の運命に追い打ちをかける、まさに画竜点睛のような行為である。
3.「鐘楼番」
鐘楼番の老人が、ある夜、遠くを見ていて火事に気付く。燃えているのは彼の娘の家だった。
この話といい「最後の授業」といい、ルヴェルは家族を思う罪のない老人を容赦なく酷い目に遭わせる。酷いよルヴェル。本当に酷いよ。
4.「街道にて」
ある浮浪者が道端で金貨を拾う。これで食事にありつけると喜ぶ浮浪者だが、浮浪者が金貨など持っているわけがないと怪しまれて食べ物を売ってもらえない。そこに小銭を持ったもう一人の浮浪者がやってくる。
金貨を拾うという僥倖が、転落につながっていく。見かけで人を判断する人の心の醜さよ…
5.「最後の授業」
読み書きのできない老女は孫を大事に育てていたが、成長した孫は軍に入隊することになる。孫に自分の言葉で手紙を書きたいと、老女は読み書きを学び始める。
正直に言えば、ルヴェルという作家を多少なりと知っていれば、この展開はうすうすわかってしまうと思う。しかしわかっていようといまいと読後にこみ上げてくるのは「なんでだよ! どうしてこんな酷いことが書けるんだよ!」という気持ちである。本書の中で最も心を抉られた一編。
ということで作者ルヴェルに怒りの言葉を投げつけつつ「地獄の門」からお気に入りを五篇紹介してみた。しかし十ページに満たないような短い物語でこれだけ人を嫌な気持ちにさせたり、憤らせたりする、そこにこの作家の「よさ」があるのだと思う。「地獄の門」も、それから「夜鳥」も、ルヴェルのそういう「よさ」をたっぷり味わえる短編集なので、後味の悪い話が好きな方は特に手に取ってみていただきたい。
そしてルヴェルが「刺さった」人にはこちらもおすすめである。