夜になるまえに

本の話をするところ。

持っててよかった絶版本を紹介してみる。~海外ミステリー篇~

 

 本を愛する人は決して油断してはいけない。気になる本はとにかく気になった時に買うのだ。これまでどれだけ多くの本がいつのまにか書店からも出版社からも消え入手困難になっていっただろうか。海外文学は特に権利関係などの問題で復刊が難しいこともあるし、更に読者数が限られており、発行数が元々少ないものも多い。発売後品切れになるまでがかなり速いこともある。なおのこと積極的に買いたいものである。
 というわけで、今回は持っててよかった絶版本を紹介してみる。なお、筆者の気分により海外ミステリーに限り三冊を取り上げる。

 

 

1.「不自然な死体」P.D.ジェイムズ著 /青木 久恵訳、早川書房

 

 最近ハヤカワ・ミステリ文庫で「死の味」が復刊された。現在、文庫で読めるダルグリッシュ・シリーズはこの「死の味」のみである。しかししかし。かつては「女の顔を覆え」に始まるダルグリッシュ・シリーズが、第九作「原罪」まで文庫化されていたことがあったのですよ。第十作「正義」以降はポケット・ミステリのみの刊行になり、現在新刊で入手可能なのは第十一作「神学校の死」から第十四作「秘密」と、先に述べた「死の味」だけだが。
 現在ではこのように入手困難になってしまったこのシリーズだが、この重厚さ、人間の様々な生を時に過剰なまでに描き出すP.D.ジェイムズの世界にハマる人は少なからずいるはずです。ぜひぜひ一度手を出してみていただきたい。
 そのシリーズの中でもおすすめなのが、この第三作「不自然な死体」である。第四作「ナイチンゲールの屍衣」以降、格段にボリュームが増すダルグリッシュ・シリーズだが、「不自然な死体」は三三五ページという手ごろな厚さ。更に、いろいろな人間たちの運命が交差する中で起きてしまう犯罪を描くという性格が強いジェイムズ作品の中でも、ミステリー色が強い一作なのである。ミステリーファンなら大好きなはず(偏見)の「切断の理由」が出てきます。しかし「切断の理由」ものとしてはたぶんもっともポピュラーな首ではなく、切断されるのは両手首なのです。海岸に流れ着いた両手首を切断された男の死体。彼が手を切り落とされたその理由とは?

2.「魔女が笑う夜」カーター・ディクスン著/斎藤 数衛訳、早川書房

 

 カーター・ディクスン=ジョン・ディクスン・カーが偉大なミステリ作家であることに異論はないかと思う。「三つの棺」「火刑法廷」「曲がった蝶番」などなど、名作を数多く残しているカーだが、本作「魔女が笑う夜」は、正直に言えば名作とは呼べない。しかしこの忘れがたいとんでもないトリックのおかげで、本作は怪作として歴史に名を残す権利を得たと思う。このトリックを馬鹿馬鹿しいと退ける人もいるだろうが、筆者はきっと不可能犯罪について、推理小説について、トリックについて、誰よりも考えていたであろうカーが生んだこのトリックも、本作も、決して嫌いになれない。
 ぜひ一度はこのトリックを味わってほしい…のだが、Amazonでチェックしてみたところ、古書価格もなかなかのお値段になっているようである…
 

3. ブラウン神父 (世界の名探偵コレクション10)  G・K・チェスタートン著/二宮 磬 訳,集英社

 世界の名探偵コレクション10! と聞いて、どんなラインナップだと思いますか?
 シャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパン、と来て三番目がブラウン神父。その後のラインナップは以下の通りである。
 エルキュール・ポアロ、コンティネンタル・オプ、メグレ警視エラリー・クイーンミス・マープル、ホテル探偵ストライカー、フィリップ・マーロウ
 おおう、本格ミステリからハードボイルド、警察小説までをカバーする渋い面々ではありませんか。コンティネンタル・オプにメグレ警視だって…? ホテル探偵ストライカーだって…? このシリーズの本を書店で眺めていた当時の筆者は気づかなかったが、なんというこだわりのラインナップであろうか。
 さて、そんな渋い名探偵たちの好短編を集めたシリーズであった「世界の名探偵コレクション10」のブラウン神父編だが、この本には六篇のブラウン神父ものの短編が収められている。今なら創元推理文庫で読める「ブラウン神父の童心」「ブラウン神父の知恵」「ブラウン神父の不信」「ブラウン神父の秘密」「ブラウン神父の醜聞」の短編集全五巻からそれぞれ一篇ずつ採られているのだ。ん? それなら最後の一編は…?
 そう、この最後の一編こそ本書を「持っててよかった」と評する大きな理由である。「ドニントン事件」というこの一編、編集者が書いた問題編にチェスタートンが解決編をつけたものなのだが、実はどの短編集にも収録されておらず、日本語で読むには本書か「ミステリマガジン」九十六年二月号を読むしかないという、幻の一編となっているのである。それゆえ、人生の半分以上、ブラウン神父シリーズを全巻大事に本棚にしまっている人間としては、本書はとても手放すわけにはいかない一冊なのだ。
 新保博久氏によるブラウン神父誕生の背景などが詳細に書かれた解説も必読である。
 
 というわけで、持っててよかった絶版本紹介でした。今回は海外ミステリー篇でしたが、このテーマはその他いろいろなジャンルで書くことになる予感がします。ではまた。