夜になるまえに

本の話をするところ。

うらやましいふたり「胃が合うふたり」

 「胃が合うふたり」は、「ちはやん」「新井どん」と呼び合う作家と書店員、近しい友人同士であり何よりも「胃が合う」ふたりが、一緒に食べたものについておのおの書いたエッセイを収めた、それぞれの個性が表れる文章が味わい深い一冊である。

 うらやましいな、と思った。まずはその胃袋が。

 たとえば「銀座パフェめぐり編」。ここでふたりは、「パフェ先生」ことパフェ評論家の斧屋氏と共に一日で五本(!)のパフェを食べ歩く。さらにパフェ先生と別れた後、ふたりはファミレスに行き、めいめい蟹雑炊とドリアを頼んでいる。胃の容量が小さく腹を壊しやすい私のような人間はその食べっぷりをうらやむほかない。できることなら私も食べたい、パフェ五本。

 しかしこの本は単純にふたりがおいしいものを食べ歩くだけの本、ではない。それだけでももちろん何の問題もないし、とても楽しい本になっただろう。だが、ちがうのだ。

 この本は千早茜と新井見枝香、ふたりの友人関係を描く本でもある。そしてその友人関係が、たまらなくいいのだ。

 このふたりを仲が良い友人同士、と呼ぶことは可能であろう。だがふたりの関係はべたべたした、距離の近すぎるものではない。「新井どん」は言う。

 

 弱った時こそ親しい友人に頼りたい、という人間と、弱った姿を親しい友人だけには見られたくない、という人間がいるなら、私と彼女は後者だろう。(P.65)

 

 そういう面では似ていて、けれど全体像を見れば、ふたりは似ていない。それが浮き彫りになる「ステイホーム編」の「ちはやん」による「甘やかしおやつ便」と「新井どん」がスーパーで買ったものを詰めたマイバッグの対比よ。胃が合い、価値観が一部共通し、でも全然違うふたりの人間の、馴れ合いではない友人関係。うらやましいな、と思った。こんな関係を築くことのできる相手と出会えたふたりが。

 「ちはやん」が中学時代に出逢った友人を回想するところがある。その部分の後、「新井どん」に会った「ちはやん」の綴った文章がふたりの関係を象徴しているようで、痺れてしまった。

 

 私の思い出の彼女みたいな子が、新井どんにもいたのかもしれないと想像する。もちろん、訊かない。(P81)

 

 「訊かない」の前に来るのが「もちろん」なのが素敵だ。ふたりは、「ふたり」である前に「ひとり」であって、「ひとり」の領域をそれぞれ持っていて、その領域に、親しさを理由あるいは言い訳にしてずかずかと踏み込むことを、彼女は「もちろん」しない。ここにある確かな距離こそが、このふたりを「ふたり」たらしめているのだ。「餌場が同じ野良猫」たちのこの貴重な関係、うらやまずにはいられない。

 

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