夜になるまえに

本の話をするところ。

たとえ世界を敵に回しても「ピエタとトランジ<完全版>」

 そこにいるだけで周りの人間に死をもたらす。そんな「体質」を持った人がいたら、あなたはどうするだろうか?

 私だったら、きっとその人に近寄りたいとは思わないだろう。友だちになりたいとは思わないだろう。

 しかし、ピエタはちがう。自分では何もしていないのに周りの人間が勝手に人を殺したり事故に遭ったりして死んでいく、迷惑極まりない存在であるトランジに「次はピエタが死ぬかもよ」と言われて、ピエタが考えることといったら、こうだ。

 

両親とかいけ好かないクラスのやつらが、私のお葬式で泣いているところを想像した。それから、テレビのワイドショーで私の超キマッてるプリクラ画像が流れて、たくさんの知らない人たちに「こんな若くてかわいいのにもったいねえ!」って思われることも。(p280)

 

そんなピエタとトランジは、高校生で出会ってから、数年間の別離を経て、数十年を共に生きる。二人の別離は、トランジの体質がある条件を満たした人々に感染していくことが判明した時に訪れる。トランジの体質が感染してしまった二人の友人は、トランジに言う。

 

「(前略)ピエタの幸せを邪魔しないで。(中略)ピエタは子どもを産んで、ふつうの幸せを手に入れることができるんだよ」(p.109)

 

これに「わかった」と答えたトランジは、ピエタの前から姿を消す。トランジを失ったピエタは、友人に言われた「ふつうの幸せ」を手に入れるためであるかのように、医師になり結婚して、「ふつうに」生きようとする。しかしピエタは、結婚式の間でさえ周りの人間がばたばたと死んでいく(けれど、自分だけは死なない)という幻を見る。まるでそれがあるべき世界だとでもいうかのように。その「あるべき世界」が、トランジと共に在った頃の彼女の世界であったことは想像に難くない。そしてピエタの真に望む「あるべき世界」を与えるかのように、トランジは再びピエタの前に姿を現す。以下がその時の二人の会話だ。

 

「死のうかとも思ったんだけど、できなかった」この平静な、ただの報告がどちらの口から出たのかはおぼえていない。

「それで、覚悟は決まったの?」私とトランジのどちらかが、どちらかに向かって言った。

そしてどちらかが、「うん」と答えた。(P150)

 

 

その時、どの台詞をどちらが口にしたかは、もはや問題ではない。これは二人が「正しい世界」に背を向けるという覚悟を、二人して表明した場面だ。たとえば、結婚し、しばらくはふたりだけの夫婦生活を楽しんだ後、避妊をやめて今度はできるだけ早く子どもを作る。あるいは、自分が交流を持った人間が体質のために死なないように、できるだけ誰とも接触せず家に引きこもる。そんな「正しい」あり方を、二人は捨てていく。

トランジの体質が人に感染してゆき、その結果として、人がごく簡単に殺し殺されるディストピアが誕生しようとも、二人はもう何も気にせずにただ生きていく。そこにいるだけで死をもたらすトランジは、言ってみれば人類の敵だ。人類を救おうと、トランジを研究対象にしようとする人がいる。こんな世界になってしまった責任を取らせるため、トランジを処刑しようとする人がいる。彼らは正しい。人類を救おうとすることは正しい。人類の敵を殺そうとすることは正しい。しかし彼らの圧倒的な正しさに、ピエタとトランジは立ち向かう。立ち向かうことができる。二人なら。

 そもそも周囲の人間に死をもたらすことを気にして学校に通うことに乗り気ではないトランジに、学校に来るよう勧めたのはピエタだった。案の定人がばたばたと死んでいくが、ピエタは言う。「このままふたりで学校を全滅させちゃおうか」(p.284)。たとえどれだけ人が死のうとも、ピエタにとっては、トランジが引きこもらず自由に生きる方がいいのだ。あなたが生きられるのならば、みんなみんな、死んでしまっても構わない。なんという強烈な愛の言葉だろうか。すべての正しさを、正しい人たちを敵に回すほどのつよい愛が、確かにこの二人の間にはある。

 

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