夜になるまえに

本の話をするところ。

不潔だった私たちの声を「サワー・ハート」

 告白しよう。この本が苦手だった。
 本書「サワー・ハート」は中国からアメリカへの移民家族を描いた短編集である。冒頭に置かれた、満足にトイレにさえ行けず、やがては崩壊してしまう(!)アパートに暮らす極貧家族の話「ウィ・ラブ・ユー・クリスピーナ」に始まって、中国からアメリカに移住したという共通点を持つそれぞれ別の主人公の話(最後の「川に落ちたあんたを、私が助けたの!」には「ウィ・ラブ・ユー・クリスピーナ」の主人公クリスティーナが再び登場)が七編収められている。主人公はいずれも女性で、子どもだ。
 子どもは、子ども時代は、無垢だ、と人は言う。
 しかし、ここに書かれている子どもは、子ども時代は、無垢ではない。「ウィ・ラブ・ユー・クリスピーナ」でとにかく金のないクリスティーナの父は、娘の吐いたものを口にする。「弟の進化」で主人公ジェニーは弟が噛んで歯に挟まったハムの切れ端を自分の口に入れる。「母以前の母たち」で主人公ジェニーは冷たすぎる飲み物の飲めない母のため、冷たいジュースの缶を温めようと自分のズボンの中に入れる。どれもこれも、普段目にしないような不潔な行為だ。私がこの本を苦手だったのは、きっとこのせいだった。文字で読んでも頭に思い浮かべても不潔な行為が、この本には書かれている。そして著者の筆はこのような「物理的に」不潔な行為に留まらない。「空っぽ、空っぽ、空っぽ」の主人公のルーシーは、友だちの家のケーブルテレビをうらやましがり、父が家族のために懸命に働いていると語る母に、「だから何?」と言う。「私の恐怖の日々」で主人公マンディーの「友だち」ファンピンはマンディーに自分の体を触らせたりマンディーのズボンを下ろしたりと性的な加害行為をする。「なんであの子たちはレンガを投げていたんだっけ?」で、主人公ステイシーの弟アレンは、自分を溺愛する祖母がアメリカから中国に帰るという時に、空港に見送りに行くことさえせずゲームをやりたがる。こうした子どもたちの行為は、いずれも無垢とは言いがたい。
 しかし、子どもは、子ども時代は本当に無垢だったのか。無知ではあったかもしれない。知らないがゆえに言ってしまうこと、やってしまうことがあり、人を傷つけ、自分も傷を負い、それをしなくて済むようになるまでくりかえし。私たちは往々にして、それを無垢という言葉で美しく彩ってしまってはいないか。ジェニー・ザンはそれをしない。私たちが物理的に不潔で、心だって決して綺麗じゃなかった「あの時代」を、ザンは恐れずに、正直に描き出す。だから私は目を背けてしまいたくなる。だから私はこの本が苦手だ。けれども、剥がしたら血が流れるとわかっているかさぶたを剥がす時のように、どうしようもなくこの本を読んでしまう。

 

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